- 底本
- Platonis Opera, Tomus I: Tetralogia I-II. Burnet, John, 1863-1928, editor. Oxford: Clarendon Press, 1905.
- 翻訳
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- 言語
- 日本語 · English · 简体中文 · 한국어
- CTS URN
- urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg004.humanitext-grc2:65
- 出力
- Humanitext Reader · reader.humanitext.ai · 2026-10-27
ソクラテスは哲学者による魂の肉体からの解放を論じ、視覚や聴覚などの身体的感覚が真理の把握においてむしろ障害であり、純粋な思考のみが実在そのものを捉え得ることを説明する。
ΦΑΙΔ. ἆρ᾽ οὖν πρῶτον μὲν ἐν τοῖς τοιούτοις δῆλός ἐστιν ὁ φιλόσοφος ἀπολύων ὅτι μάλιστα τὴν ψυχὴν ἀπὸ τῆς τοῦ σώματος κοινωνίας διαφερόντως τῶν ἄλλων ἀνθρώπων; φαίνεται. καὶ δοκεῖ γέ που, ὦ Σιμμία, τοῖς πολλοῖς ἀνθρώποις ᾧ1 μηδὲν ἡδὺ τῶν τοιούτων μηδὲ μετέχει αὐτῶν οὐκ ἄξιον εἶναι ζῆν, ἀλλ’ ἐγγύς τι τείνειν τοῦ τεθνάναι ὁ μηδὲν φροντίζων τῶν ἡδονῶν αἳ διὰ τοῦ σώματός εἰσιν. πάνυ μὲν οὖν ἀληθῆ λέγεις. τί δὲ δὴ περὶ αὐτὴν τὴν τῆς φρονήσεως κτῆσιν; πότερον ἐμπόδιον τὸ σῶμα ἢ οὔ, ἐάν τις αὐτὸ ἐν τῇ ζητήσει κοινωνὸν συμπαραλαμβάνῃ; οἷον τὸ τοιόνδε λέγω· ἆρα ἔχει ἀλήθειάν τινα ὄψις τε καὶ ἀκοὴ τοῖς ἀνθρώποις, ἢ τά γε τοιαῦτα καὶ οἱ ποιηταὶ ἡμῖν ἀεὶ θρυλοῦσιν, ὅτι οὔτ’ ἀκούομεν ἀκριβὲς οὐδὲν οὔτε ὁρῶμεν; καίτοι εἰ αὗται τῶν περὶ τὸ σῶμα αἰσθήσεων μὴ ἀκριβεῖς εἰσιν μηδὲ σαφεῖς, σχολῇ2 αἵ γε ἄλλαι· πᾶσαι γάρ που τούτων φαυλότεραί εἰσιν. ἢ σοὶ οὐ δοκοῦσιν; πάνυ μὲν οὖν, ἔφη. πότε οὖν, ἦ δ’ ὅς, ἡ ψυχὴ τῆς ἀληθείας ἅπτεται; ὅταν μὲν γὰρ μετὰ τοῦ σώματος ἐπιχειρῇ τι σκοπεῖν, δῆλον ὅτι τότε ἐξαπατᾶται ὑπ’ αὐτοῦ. ἀληθῆ λέγεις. ἆρ’ οὖν οὐκ ἐν τῷ λογίζεσθαι εἴπερ που ἄλλοθι κατάδηλον αὐτῇ γίγνεταί τι τῶν ὄντων; ναί. λογίζεται δέ γέ που τότε κάλλιστα, ὅταν αὐτὴν τούτων μηδὲν παραλυπῇ, μήτε ἀκοὴ μήτε ὄψις μήτε ἀλγηδὼν μηδέ τις ἡδονή, ἀλλ’ ὅτι μάλιστα αὐτὴ καθ’ αὑτὴν γίγνηται ἐῶσα χαίρειν τὸ σῶμα,3 καὶ καθ’ ὅσον δύναται μὴ κοινωνοῦσα αὐτῷ μηδ᾽ ἁπτομένη ὀρέγηται τοῦ ὄντος. ἔστι ταῦτα. οὐκοῦν καὶ ἐνταῦθα ἡ τοῦ φιλοσόφου ψυχὴ μάλιστα ἀτιμάζει τὸ σῶμα καὶ φεύγει ἀπ’ αὐτοῦ, ζητεῖ δὲ αὐτὴ καθ’ αὑτὴν γίγνεσθαι; φαίνεται. τί δὲ δὴ τὰ τοιάδε, ὦ Σιμμία; φαμέν τι εἶναι δίκαιον αὐτὸ ἢ οὐδέν; φαμὲν μέντοι νὴ Δία. καὶ αὖ καλόν γέ τι καὶ ἀγαθόν; πῶς δ’ οὔ; ἤδη οὖν πώποτέ τι τῶν τοιούτων τοῖς ὀφθαλμοῖς εἶδες; οὐδαμῶς, ἦ δ’ ὅς. ἀλλ’ ἄλλῃ τινὶ αἰσθήσει τῶν διὰ τοῦ σώματος ἐφήψω αὐτῶν; λέγω δὲ περὶ πάντων, οἷον μεγέθους πέρι, ὑγιείας, ἰσχύος, καὶ τῶν ἄλλων ἑνὶ λόγῳ ἁπάντων τῆς οὐσίας ὃ τυγχάνει ἕκαστον ὄν·4 ἆρα διὰ τοῦ σώματος αὐτῶν τὸ ἀληθέστατον θεωρεῖται, ἢ ὧδε ἔχει· ὃς ἂν μάλιστα ἡμῶν καὶ ἀκριβέστατα παρασκευάσηται αὐτὸ ἕκαστον διανοηθῆναι περὶ οὗ σκοπεῖ, οὗτος ἂν ἐγγύτατα ἴοι τοῦ γνῶναι ἕκαστον; πάνυ μὲν οὖν.
パイドン:ソクラテスは言った。「それではまず、このようなことにおいて、哲学者というのは、他の人々とは著しく異なって、魂を体の交わりからできる限り解放しているということが明らかではないかね?」シミアス:「そのように思われます。」ソクラテス:「そしてシミアス、一般の人々には、こうしたことのうちに何の喜びも持たず、それらに関与しないような人は、生きているに値せず、むしろ体を通じた快楽を全く顧みない人は、死んでいる状態にいくらか近いところへ向かっていると思われるのではないかね。」シミアス:「まったくその通りです。」ソクラテス:「では、知恵そのものの獲得についてはどうだろう。探求において体をお供として同伴させるなら、体は障害になるだろうか、それともそうではないだろうか。」ソクラテス:「私が言いたいのは、例えば次のようなことだ。視覚や聴覚は人間にとって何らかの真実性を持っているだろうか、それとも、詩人たちも常に私たちに口を酸っぱくして言っているように、私たちは何一つ正確に聞くことも見ることもできないという、まさにそういうことなのだろうか。だが、もし体に関する感覚のうちでこれらが正確でも鮮明でもないとすれば、他の感覚は到底そうなり得ないだろう。なぜなら、他のものはすべてこれらよりも劣っているはずだからだ。それとも君にはそう思われないかね?」シミアス:「まったくその通りです」と彼は言った。ソクラテス:「では」と彼は言った。「いつ魂は真実をつかむのだろうか。というのも、魂が体と一緒に何かを探求しようと企てるときには、いつでも魂が体によって欺かれることは明らかなのだから。」シミアス:「おっしゃる通りです。」ソクラテス:「それでは、もし他のどこかで明らかになるとしても、思考することにおいてこそ、存在するものの何かが魂にとって極めて明白になるのではないかね?」シミアス:「そうです。」ソクラテス:「そして、魂が最も見事に思索するのは、おそらく次のようなとき、すなわち、これらの何ものも、つまり聴覚も視覚も苦痛もいかなる快楽も魂を煩わせず、むしろ体におさらばをして、魂が自分自身だけで独立し、できる限り体と交わらず、また触れ合うこともなく、存在するものを切望するときではないかね。」シミアス:「その通りです。」ソクラテス:「それゆえ、ここにおいてもまた、哲学者の魂は最も強く体を軽んじてこれをつまはじきにし、自分自身だけで独立して存在することを求めるのではないかね?」シミアス:「そのように思われます。」ソクラテス:「では、シミアス、次のようなことについてはどうだろう。私たちは『正義そのもの』が何かあると言うか、それとも何もないと言うか?」シミアス:「ゼウスにかけて、確かにそう言います。」ソクラテス:「また、同様に『美そのもの』や『善そのもの』もあると?」シミアス:「どうしてそうではないことがありましょう。」ソクラテス:「では、君はこれまでに、これらのうちのいずれかを肉眼で見たことがあるかね?」シミアス:「決してありません」と彼は言った。ソクラテス:「それでは、体を通じた感覚のうちの、他の何かによってそれらを把握したことがあるかね。私はすべてのものについて言っているのだ。例えば、大きさ、健康、強さ、そして一言で言えば、各々が実際に何であるかという、他のあらゆるものの本質についてだ。果たしてそれらの最も真なるあり方は、体を通じて観照されるのだろうか。あるいは、むしろ次のようではないか。私たちのうち、自分が探求しているそのもの各々について、最も深く最も正確に思索する準備を整えた人こそが、それぞれの知識に最も近づくことになる、と。」シミアス:「まったくその通りです。」
- 65aᾧ
この ᾧ は関係代名詞の与格で、先行詞が省略された関係節 ᾧ μηδὲν ἡδὺ τῶν τοιούτων(そのようなものの何一つが心地よくない人)を形成している。この与格は、続く οὐκ ἄξιον εἶναι ζῆν(生きるに値しない)という評価の主体、あるいは非人称の δοκεῖ の関係対象を示す「関与の与格」として機能している。
- 65bσχολῇ
名詞 σχολή(暇、猶予)の与格から転じた副詞的用法で、「到底〜ない」「まして〜なわけがない」という強い否定を表す。ここでは αἵ γε ἄλλαι(他の感覚)の後に ἀκριβεῖς τε καὶ σαφεῖς εἶεν ἄν のような表現が省略されており、「他の感覚が正確かつ明瞭であることなど到底あり得ない」という意味になる。
- 65cἐῶσα χαίρειν τὸ σῶμα
動詞 ἐάω(許す、そのままにする)と χαίρω(喜ぶ、別れを告げる)の不定詞を組み合わせた慣用句で、直訳すれば「体を喜んで去るに任せる」、転じて「体を顧みない」「体におさらばする、放っておく」という意味になる。魂が身体の煩わしさから自らを切り離す態度を表す。
- 65dὃ τυγχάνει ἕκαστον ὄν
関係代名詞 ὃ の後ろに、τυγχάνω(たまたま〜である、実際に〜である)と存在動詞の分詞 ὄν(主格中性単数)が組み合わさった構文。直前の τῆς οὐσίας(本質、実在)を同格的に説明する関係節を形成しており、「それぞれが実際に(本質的に)存在しているそのあり方」を意味する。
