底本
Aristotle. Aristotle's Metaphysics, Vol. 1-2. Ross, William David, editor. Oxford: Clarendon Press, 1924 (printing).
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA 4.0
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0086.tlg025.perseus-grc2
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要旨
本作は、「存在する限りでの存在」とその第一の原理および原因を探究する、独自の学問である「第一哲学」の樹立を目指す作品である。著者は、人間の生まれつきの知への欲求から出発し、驚異から始まった哲学が、実用的な目的を超えて知ること自体を追求する自由な学問であることを示す。議論の前半では、先行する哲学者たちの四原因(質料因、形相因、始動因、目的因)の扱いを検証し、プラトンのイデア論やピタゴラス派の数論が抱える多くの矛盾を徹底的に批判する。続いて、すべての探究の基礎となる矛盾律を確定し、実体(ウーシア)の定義や本質、そして可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)の区別を通じて存在の多義性を体系化する。後半では、運動と時間の永遠性を支え、自らは動かずに思惟の対象として天体を動かす永遠なる「不動の動者」(神的な知性)の存在を論証する。最終的に、感覚から分離した数学的対象やイデアが宇宙の第一原理にはなり得ないことを示し、すべての存在者が単一の支配者のもとに秩序づけられているという結論を導き出している。
目次
159 チャンク
引用方式:book.section
- §1.1#1
知への欲求と感覚から技術への進展
人間の生まれつきの知への欲求から始まり、感覚、記憶、経験、そして技術へと至る認識の発達段階と、個別を扱う経験と普遍を扱う技術の差異について述べている。
- §1.1#2
原因の知としての技術と第一原因を探究する知恵
アリストテレスは、技術者が経験者よりも知恵がある理由として、彼らが「なぜ」という原因を知っており、教えることができるからだと述べる。また、知恵(ソフィア)の追求は実用や快楽から離れた余暇の中で最高度に達し、それは第一原因と原理を探究する学問であると結論づける。
- §1.2#1
第一原理の学としての知恵と驚異から始まる哲学
知者や知恵についての一般的な想定を分析し、求める「知恵」とは「第一の原理と原因」を観照する学問であることを示す。また、哲学が実用目的ではなく、世界に対する驚異(ワンダー)から始まったことを論じる。
- §1.2#2
自由な学問としての哲学と知ること自体の追求
哲学が驚異から始まり、実用的な目的ではなく自足的かつ自由な学問として知ること自体を追求するものであること、またそれが神的な性質を持つことを論じ、原因を知ることで当初の驚異から逆の理解状態へ至るべきことを示して前2章の探究を締めくくる。
- §1.3#1
四原因の提示とタレスらの質料因の探求
アリストテレスは知恵の探求において、質料因、形相因、始動因、目的因という四つの原因を定義し、先哲たちの思想、特にタレスの水などの質料一元論を探究の出発点として提示する。
- §1.3#2
質料因の限界と動力因および知性の探求
第一原因が質料のみであるとする説の限界から、運動の始まりという第二の原因(動力因)の探求が必要となった経緯を、エレア派などの初期哲学者、さらには知性(ヌース)を導入したアナクサゴラスらの説に触れつつ概観する。
- §1.4
愛と争いの導入および原子論者における原因
ヘシオドスやパルメニデスによる愛(エロス)の導入、善悪の原因として愛(ピリア)と争い(ネイコス)を導入したエンペドクレスの多元論、およびレウキッポスとデモクリトスの原子論を概観し、彼らがどのように質料因と運動因を不完全に扱ったかを検証する。
- §1.5#1
ピタゴラス派による数の原理と対立概念
アリストテレスはピタゴラス派の哲学を検討し、彼らが数学の原理(特に数、奇数と偶数、あるいは10対の対立概念)を存在者の質料的な構成要素および属性としてみなしていたことを説明する。また、類似の対立概念を用いたクロトンのアルクマイオンの説とも比較を行う。
- §1.5#2
一者を説くエレア派への批判とピタゴラス派の数
エレア派やクセノパネスなどの「一者」を唱える哲学者たちの説を、現在の四原因説との関連から批判的に概括し、次いでピタゴラス派が有限と無限、一そのものを実体とみなして数に万物の本質を求めた点や、その定義の不十分さを指摘する。
- §1.6
プラトンのイデア論の起源と二つの原理
プラトン哲学の起源(ヘラクレイトス派の流動説とソクラテスの普遍の探求)が説明され、イデアと数学的中間者の導入、そして「一」と「大と小(二)」という二つの原理からなる体系がピタゴラス派との対比を交えて提示される。
- §1.7
四原因から見た先行哲学者たちの学説の総括
アリストテレスは先行哲学者たちの説を振り返り、彼らが主張した様々な原理がすべて自身の定義した四原因(特に質料因や始動因)のいずれかにかすかに触れていることを示しつつ、形相因や目的因の不十分さを指摘し、次章以降での難題(アポリアー)の検討を予告する。
- §1.8#1
初期自然哲学者たちの原理論に対する批判
一元的な自然哲学者、エンペドクレス、およびアナクサゴラスの原理論における誤りと限界を批判的に考察し、特に質料因の偏重や運動因・形相因の欠落を指摘する。
- §1.8#2
アナクサゴラスの原理とピュタゴラス派批判
アナクサゴラスの説が不十分ながらも「一」と「無限定なるもの」を原理とする後世の説に近いことを指摘し、次いで非感覚的なものを原理としながら自然を論じるピュタゴラス派について、運動・重軽・数概念の扱いにおける矛盾を批判する。
- §1.9#1
プラトン主義のイデア論に対する批判
アリストテレスはピュタゴラス派についての検討を終え、イデアを原因と措定するプラトン主義のイデア論に対する多角的な反論を開始する。彼はイデアの導入が存在者を不必要に増やすこと、存在の論証が矛盾を含むこと、そして形相が感覚世界の運動や存在に全く寄与しないことを論じる。
- §1.9#2
手本としてのイデア説と数論に対する論駁
アリストテレスは、手本としてのイデア説の矛盾点(重複、離在の不可能性など)を指摘し、さらにイデアを数とみなすピタゴラス的・プラトン的な数論の内的矛盾(単位の同質性・異質性の難問、幾何学的対象との階層的関係など)を徹底して論駁している。
- §1.9#3
幾何学的対象の生成と哲学の数学化批判
アリストテレスは点の存在や、物質的・空間的原理から立体などの幾何学的対象を生成する論理の矛盾を突き、哲学が数学化している現状と、あらゆる存在者に共通する単一の「元素」を探求することの認識論的不可能性を指摘する。
- §1.10
四原因論の総括と初期哲学の不完全さ
アリストテレスは、これまでの哲学者たちが探求してきた原因が『自然学』で提示された四原因であることを確認しつつ、初期の哲学の不完全さを指摘する。そして、エンペドクレスの骨に関する説明を例に挙げて彼らが形相(本質)を明確には語れなかったことを論じ、再びアポリアの検討に戻ることを告げる。
- §2.1
真理の探究の難易と原因の認識
アリストテレスは、真理の探求が全体として容易である一方、部分の把握においては困難であることを指摘し、先人たちの学説の価値とその継承の重要性を説く。さらに、原因を知ることこそが真理を知ることであり、永遠なるものの原理が最も真なるものであると論じる。
- §2.2
原因の無限後退の否定と第一原理の必然性
原因の系列が直線的にも種(形相)の点でも無限に後退することは不可能であり、第一原理が存在しなければいけないことを、四原因のそれぞれにおいて、また生成の上方向と下方向の流れの双方において実証し、目的(善)や本質の追求、および学問的認識の成立に第一原理が不可欠であることを論じる。
- §2.3
探究方法の習得と自然学における数学的厳密さの限界
議論を受け止める態度は聴き手の習慣に依存することを指摘し、適切な探究方法をあらかじめ知っておくことの重要性と、数学的厳密さは質料を扱う自然学には適用できないことを論じる。
- §3.1
アポリア検討の必要性と哲学上の難問の一覧
求められている学問へと進むにあたり、あらかじめアポリア(難問)を十分に提示し検討することの重要性が説かれ、続いて本書で順次扱われる一連の主要な哲学上の難問がリストとして提示される。
- §3.2#1
原因の学の単一性と論証の原理を扱う学
アリストテレスは原因についての学問が一つであるか複数であるかというアポリアを検討し、目的原因を欠く数学を例に挙げつつ、異なる原因に基づいてそれぞれの学問が「知恵」としての優位を主張できることを示す。さらに、証明の第一原理(公理)が実体の学問と同一の学問に属するか否かという難問を提出し、双方の立場の困難を論じる。
- §3.2#2
実体と付帯性の学問およびイデアと数学的対象の難点
アポリアの検討として、実体と付帯性を研究する学問の関係、およびイデア論や数学的中間物の存在をめぐる難点が議論される。
- §3.3
第一原理としての類と構成要素および最上位と最下位の類
第一の原理として「類」を仮定すべきか、それとも「内在的な構成要素」を仮定すべきかというアポリアを提示し、さらに類を原理とする場合に最上位の類と最下位の類のどちらを優先すべきかを議論する。
- §3.4#1
個物を離れた普遍の存在と原理の単一性に関する難点
個物を離れた普遍者や類の存在に関するアポリア、および形相と質量の関係から生じるアポリアを提示し、さらに諸原理が「種において一」であるべきか「数において一」であるべきかという問題を論じる。
- §3.4#2
消滅するものと不滅なものの原理の同異に関する難問
消滅するものと不滅なものの原理が同一であるかという難問を議論し、ヘシオドスらの神話的説明やエンペドクレスの自然哲学の不徹底さを批判するとともに、原理が異なる場合に生じる新たなアポリアを提示する。
- §3.4#3
一と有が自立した実体であるか否かに関する難問
「一」と「有」がそれ自体として実体なのか、それとも他の何らかの性質に依拠するのかという、形而上学の最重要アポリアを提示する。どちらの立場を採るにしても、一から如何にして多や数、あるいは延長(大きさ)が生成され得るのかという点で深刻な困難に直面することを指摘する。
- §3.5
数や幾何学的限界が実体であるか否かに関する難問
点、線、面、数などの幾何学的対象が実体であるかというアポリアを導入し、これらが実体でないならば有そのものが失われる一方で、幾何学的限界は物体の分割にすぎず生成消滅を経ないため実体とは認めがたいというジレンマを議論する。
- §3.6
形相の存在と原理の普遍性や個体性に関する難問
感覚物や数学的対象のほかに形相を想定すべき理由と、その場合の原理の数的な限定の問題、さらに元素が能力として存在するのか現実態として存在するのか、そして原理が普遍であるのか個物であるのかというアポリアについて論じている。
- §4.1
あるとしての有を研究する普遍的学問の提示
アリストテレスは、「ある」としての「あるもの」(存在する限りでの存在)とその固有の属性を普遍的に探求する、第一哲学(形而上学)という独自の学問の存在を提示し、それが部分的な対象のみを扱う数学などの他科学とは区別されることを明らかにする。
- §4.2#1
実体への関連による有の多義性と一の探究
「ある」は多様に語られるが、すべて実体(ウーシア)という一つの本性に関連して語られる(焦点多義性)。また「ある」と「一」は本性上同一であり、それゆえ「一」とその対立物(多やその否定・欠損)を研究することは、実体を第一の対象とする哲学という一つの学問に属する。
- §4.2#2
一と多への対立物の還元と哲学の領域
アリストテレスは、「一」とその諸属性、および実体を扱うのが単一の学問(哲学)であることを論じ、哲学が弁証術やソフィストの技術とどのように異なるかを明らかにするとともに、すべての対立物が「一」と「多」へと還元されることを示す。
- §4.3
公理の研究と最も確実な原理としての矛盾律
数学の公理と実体の探究が哲学者の学問に属することを論じ、すべての前提となる最も確実な原理としての「矛盾律」を提示して、それが成立せざるをえない根拠を説明する。
- §4.4#1
矛盾律の反駁的証明と言語の意味確定性
アリストテレスは、矛盾律を直接証明することは不可能であるが、相手が何かを意味する言葉を口にする限りにおいて、反駁的に証明することは可能であることを示し、「人間」という言葉を例に挙げて、言葉が一つのことを意味しなければ対話も思考も不可能になることを論じる。
- §4.4#2
本質的実体の必然性と矛盾肯定の帰結
アリストテレスは、「人間」の本質的な定義を認めるならば、すべての性質が付帯的であるとは言えず、実体を意味する第一の基底が存在しなければならないことを論じる。さらに、すべての矛盾する主張が同時に真であるとする立場は、万物を一つにし、あらゆる限定を無効にするという不条理(プロタゴラスやアナクサゴラスの難点)に陥ることを示す。
- §4.4#3
矛盾肯定による規定の破壊と実践的選択の前提
アリストテレスは、矛盾を同時に主張する立場がすべての規定を無効化し、探究自体を不可能にすることを論じる。また、日常の選択行為や、「より多く・より少なく」の概念の存在が、特定の対象についての確定的な判断を前提としていることを示して反論する。
- §4.5#1
プロタゴラスの相対主義と感覚説への反駁
アリストテレスはプロタゴラスの相対主義や先行哲学者たちの感覚重視の説が、矛盾の許容と同根であることを示す。そして、可能態と現実態の区別や、変化しない不動の実在を想定することによって、感覚に起因する認識論的困難を解決しようとする。
- §4.5#2
万物流転説への反駁と感覚の客観的基盤
アリストテレスは、すべてのものは変化するという前提から極端な懐疑主義に陥ったクラテュロスらの議論を批判し、量的な可変性と形相的な恒常性の区別、および天界の不動性を主張する。さらに、感覚を相対化する議論に対して、感覚状態を成り立たせる客観的な外部実在が感覚に先立って存在せざるを得ないことを論じる。
- §4.6
第一原理の無証明性と相対主義の克服
感覚や認識の判定者を求める懐疑的・論争的問いに対し、それらは無根拠なものへの証明を求める矛盾した態度であることを指摘する。さらに、すべてのものが相対的ではないことを示し、相反する性質が同時に同じものに属しえないという最も確実な原則(矛盾律)を確定する。
- §4.7
排中律の導入と矛盾の中間者の否定
アリストテレスは排中律を導入し、真と偽の定義から、肯定と否定の中間に位置するものは存在し得ないことを論証する。また、中間者の存在を認めることによって生じる変化や定義、数などの諸領域における論理的矛盾を指摘し、この説が詭弁的な議論や混同から生じたものであると批判する。
- §4.8
万真説と万偽説の自己破綻および不動の動者
「すべては真である」および「すべては偽である」という極端な二主張の自己否定性を暴いて反駁し、万物の不断の運動や静止を否定して不動の第一動者の存在を提示する。
- §5.1
原理の六つの多義性と共通の規定
アリストテレスは「始まり/原理」(アルケー)という語が持つ六つの多義的な定義を提示する。そしてすべての原理に共通する特徴を「存在、生成、認識の最初の起点」と規定し、それらが内在的・外在的原理に大別されること、および「原因」との同値性を論じる。
- §5.2#1
原因の定義と四原因の区分
アリストテレスが質料因、形相因、始動因、目的因という「原因」の4つの基本区分(四原因説)を定義し、同一の事物における原因の多様性や相互性、不在による相反する結果の原因について論じる。
- §5.2#2
原因の諸様態とその分類および同時性
運動原因と目的原因の残りの特徴が整理された後、原因の多様なあり方が「本質的か付帯的か」「個別的か普遍的か」「可能的か現実的(活動中)か」といったいくつかの軸に基づいて詳細に分類される。また、現実の原因はそれがもたらす結果と同時に存在し消滅するが、可能的な原因は必ずしもそうではないという違いが指摘される。
- §5.3-5.4
要素と自然の定義および多義性
§5.3および§5.4における「要素(元素)」と「自然」の多義的な定義を論じる。要素とは構成の最初の不可分な内在的要因であり、自然とは成長、運動の始原、あるいは事物の本質・形相を指すと整理される。
- §5.5
必然的なものの多義性と第一の必然性
本節では「必要なもの(必然的なもの)」の多義的な定義が示される。生存や善のための不可欠な条件、衝動に反する強制、他のようでありえない必然性が挙げられ、最終的に最も本質的な必然性は「単純なもの」に帰せられる。
- §5.6#1
一の多義性と付帯的一および自体的一
本チャンクでは「一」という言葉の多義性が論じられ、付帯的に一と呼ばれる場合と、それ自体において一と呼ばれる場合(連続的なもの、および種や類において同一であるものなど)が整理されている。
- §5.6#2
本質における一と数の原理および多の定義
アリストテレスは、本質を述べる定義の不可分性や形相の同一性による「一」について論じる。また、「一」を数の原理として位置づけ、量・種・類・比における一の分類とそれぞれの階層関係、およびこれに対立する「多」の定義を提示する。
- §5.7-5.8
あるもの(存在)の多義性と実体の諸定義
§5.7では、偶性的(付帯的)にあることとそれ自体であること(カテゴリー)、真偽としてあること、および可能態と完全現実態におけるあることという「あるもの(有)」の多様な意味を分類する。§5.8では、究極の基底、存在の原因(魂)、限定的な構成部分(面や線、数)、本質(形相)など、「実体」と呼ばれるものの諸定義を整理する。
- §5.9-5.10
同一性と差異および対立と反対の諸定義
§5.9では「同じ」「他なる」「異なる」「似ている」が定義され、同一性が存在の統一であることが示される。§5.10では「対立」「反対」「形相における他」の多様な定義がカテゴリー論に基づいて展開される。
- §5.11
先なるものと後なるものの多義的定義
アリストテレスは「先なるものと後なるもの」の多義性を整理し、始点への近さ(場所、時間、運動、能力、秩序)、認識上の順序(定義と感覚)、属性の先後、自然および実体上の先後(可能態と現実態)に分けて定義する。
- §5.12
能力と可能および不能と不可能なものの定義
アリストテレスは「能力」と「可能なもの」、およびそれらに対立する「不能」と「不可能なもの」について、能動・被動、維持力、論理的真偽、幾何学的比喩などの観点から多義的に分類し、その本来の定義を「他なるものにおける変化の始点」に帰着させる。
- §5.13-5.14
量と質の定義およびその分類
アリストテレスは「量」と「質」の定義と分類を提示する。量はそれ自体によるもの(多、大きさなど)と偶性によるもの(運動、時間など)に、質は本質的な差異、数学的性質、運動に伴う受動的属性、および徳や悪徳に分類される。
- §5.15
関係の定義とその三つの分類
関係(相対的なもの)の定義とその三つの主要な分類(数に基づくもの、能力に基づくもの、測定や認識の対象となるもの)が提示され、それぞれの詳細な性質やそれ自体の関係と偶性的な関係の区別が論じられる。
- §5.16-5.18
完全と限界およびそれ自体によるものの定義
アリストテレスは「完全(完成)」、物事の「限界」、および「〜に従って」と「それ自体において」という用語が、それぞれ哲学的にどのような多義性を持つかを分類し説明している。
- §5.19-5.23
配置と状態および受動と欠如の定義
配置、状態(習性)、受動、欠如、および「持つ」ことの定義と、それぞれの用語が包含する多様な意味的分類について説明している。
- §5.24-5.26
由来することと部分および全体の定義
アリストテレスは「〜から生じること」の諸定義(素材、作用の原理、複合体、部分、時間的前後など)を整理し、続いて「部分」と「全体」の各多義性を明らかにする。その中では、部分が計量可能なものや定義要素であることを示し、全体については普遍、連続体、そして「すべて」と「全体」との使い分けを論じている。
- §5.27-5.28
欠損したものと類の定義
アリストテレスは「不完全な(欠損した)」の定義として、数量が分割可能な全体であり、本質を保ちつつ非決定的な末端部を失う状態であることを示し、続いて「類(属)」の多義性(連続的生成、始祖、図形や定義における基体・素材)および「類において異なる」ことの意味を規定する。
- §5.29-5.30
偽なるものと付随的なものの定義
§5.29では偽という概念を、事物としての偽、言論(ロゴス)としての偽、人間としての偽の三種に分類し、アンティステネスやプラトンの対話篇『ヒッピアス』の議論を検討する。§5.30では付随的なもの(偶性)を定義し、必然的でも大抵のことでもない偶発的な属性と、実体の定義には含まれないが自体的に属する属性(自体的偶性)の二種類を整理する。
- §6.1
三つの理論的学問と第一哲学の普遍性
存在するものの原理と原因を探求する科学の分類を扱い、自然学、数学、第一哲学(神学)の三つの観照的科学を定義する。さらに、不動かつ離在する実体を対象とする第一哲学は、諸科学の中で「第一」であるからこそ、存在をそれ自体として扱う「普遍的」な科学であるという関係性を明らかにする。
- §6.2#1
偶性的存在の性格と学問の対象からの除外
存在の多様な意味(偶性、真偽、範疇、可能と現実)を整理した上で、「偶性的存在」について論じる。偶性的存在はいかなる科学の対象にもならず、非存在に近いものであることを示し、偶性が生じる本性と原因の探求を開始する。
- §6.2#2
偶性の定義とその学問の不成立
アリストテレスは「偶性(付帯的なもの)」を常にでも大抵の場合でもないものとして定義し、その原因が他であり得る「素材」にあることを示す。また、科学は常にまたは大抵の場合そうである事柄のみを扱うため、偶性に関する科学は存在しえないことを論じる。
- §6.3-6.4
偶発的原因の有限性と真なるものとしての存在の除外
偶然の原因の遡及が有限の始点で停止することを示して決定論(すべての必然化)を回避し、思考内にある「真なるものとしての存在」と「偶発的な存在」を除外して、本来の存在そのものの探求に移行する。
- §7.1-7.2
第一の存在としての実体と諸学説の概観
アリストテレスは「存在」の多義性を整理し、実体(ウーシアー)が定義・認識・時間のすべてにおいて第一の存在であることを示す。続いて、感覚的物体や数学的対象、プラトンのイデアなど、何を実体とするかを巡る先哲の多様な見解を概観し、今後の探求の土台を築く。
- §7.3
基底的なものとしての実体の検討と質料の吟味
アリストテレスは、実体と呼ばれる四つの候補(本質、普遍、類、基底的なもの)を挙げ、最も有望に見える「基底的なもの」をさらに質料、形相、合体に分けて吟味し、質料のみを実体と見なす立場のアポリアを指摘した上で、認識の自然な順序に従って感覚される実体から探求を始めるべきだと説く。
- §7.4#1
本質の規定とそれ自体によるものの探求
実体の候補の一つである「本質(これなるもの)」について概念分析的な探求を開始し、本質とはそれ自体として言われるものであることを確認した上で、他の範疇における複合体の定義可能性と本質の帰属を吟味する。
- §7.4#2
非実体のカテゴリーにおける本質と定義
実体以外のカテゴリーにおける本質と定義のあり方を論じる。本質や定義は一次的には実体に属するが、非存在や「医療的」の例にみられるように、実体との関係性(焦点的一義性)を通じて他のカテゴリーにも二次的な仕方で属することが示される。
- §7.5
結合されたものの定義と獅子鼻の難問
非単純的な結合(偶性)が本質をもつかという問題から生じる「付加による説明方式」の難問について論じ、特に「獅子鼻」を例にとって無限退行の不条理を指摘し、定義と本質が第一義的には実体にのみ属することを結論づける。
- §7.6
個々のものとその本質との同一性
各々のものとその本質(何々であること)が同一であるかという問題について検討し、付帯的なものにおいては両者が異なる場合があるものの、それ自体において言われる実体(イデア論における善や存在など)においては両者が完全に同一であることを論じる。
- §7.7#1
生成の三分法と技術によるものの生起過程
アリストテレスは生成を自然、技術(制作)、自動(偶然)の3種に分類し、それぞれの生成における起動因、質料因、形相因を分析する。特に技術による生成においては、魂の中に存する形相(実体・本質)から思考と制作のプロセスを経て、質料を持つ現実のものが生成される過程を健康の例を用いて説明する。
- §7.7#2
思考と制作の過程および生成物の質料的呼称
生成における「思考(ノエーシス)」と「制作(ポイエーシス)」のプロセスの違いを説明し、生成物が「木」そのものではなく「木製の」のような形容詞で表現される理由を、持続する基底(質料)と変化・消滅する起点(欠如)の役割の違いから論じる。
- §7.8
形相自体の非生成性とイデア論批判
本チャンクにおいて、生成における形相そのものの非生成性が論じられる。制作者は形相自体を作るのではなく、既存の質料の中に形相を導入して結合体(個物)を作るため、個物から離れたプラトンのイデア(分離された形相)は生成の説明において不要であり、実体としての生成を説明するには同種の形相を持つ生む親と質料があれば十分であることを示す。
- §7.9
自発的生成の原因と実体の先行性
なぜあるものは技術と偶然の両方で生じるが、他のものはそうではないのかという疑問に対し、質料がそれ自体で自発的に運動できるかどうかの違いから説明し、あらゆる生成において形相そのものは生成しないこと、そして実体の生成には現実的な親たる実体が先行する必要があることを論じる。
- §7.10#1
部分の定義と実体の定義の関係
本チャンクでは、事物の定義(ロゴス)の中にその部分の定義が含まれるべきかという問題(「部分の優先性」)を、質料・形相・結合体の関係から検討する。形相としての部分のみが実体の定義に含まれ、感覚的な質料としての部分は結合体の部分ではあっても定義には含まれないことを論じる。
- §7.10#2
形相的部分と質料的部分の先後関係
アリストテレスは、定義を構成する形相的な部分と質料的な部分を区別し、形相的部分(魂や円の本質など)は全体に先立つが、質料的部分(身体や個々の具体的素材など)は全体より後なるものであることを示す。これに基づき、全体と部分の先後関係についての問いは一概に答えられず、普遍的な形相と個別的な合体物との区別に基づいて整理されるべきだと論じる。
- §7.11#1
形相の部分と質料の部分の区別の難しさ
アリストテレスは、事物の定義において何が形相の部分であり何が質料としての部分であるかの区別の困難を論じ、若い方のソクラテスの動物の比喩を批判して、生命体は特定の状態にある感覚的・機能的な部分なしには定義できないことを指摘する。
- §7.11#2
知性的質料と形相および結合体の定義
アリストテレスは数学的対象における「知性的質料」の存在を指摘し、魂が形相(第一の実体)で体が質料であること、結合体としての個体には定義が成り立たないが、形相そのものは定義可能であることを明確にする。また、本質と個体が同一となるのは、他に依存しない第一の実体の場合のみであることを論じる。
- §7.12
定義の統一性と分割における最後の種差
アリストテレスは定義の統一性という難問(なぜ「二足の動物」が一つの定義となるのか)を提示し、分割の手続きを通じて「最後の種差」が本質および実体を指し示すことで定義が一つにまとまることを論じる。
- §7.13
普遍の実体性の否定と定義をめぐる困難
普遍的なものは実体であり得ず、またいかなる実体も完全現実態としての他の複数の実体から構成され得ないことを論じ、実体の定義の可能性をめぐるアポリアを提示する。
- §7.14
イデアの実体視に対する属の単一性と多数性の難点
イデアを分離された実体とし、種を属と種差から構成すると考えるプラトン派の説に対し、種に含まれる普遍(例:動物)が数において一であるか多であるかというジレンマを突きつけ、どちらの仮定も不条理な帰結をもたらすことを示す。
- §7.15
個別の感覚的実体とイデアの定義不可能性
個々の感覚的実体やイデアには定義も証明も存在しないことを、物質の可変性や言語の共通性を根拠に論じ、唯一無二の永遠なるものも定義不可能であることを示す。
- §7.16
部分の可能態性と普遍の実体性の否定
実体と思われている地・水・火・風や動物の器官の多くは可能態にすぎず、一やあるなどの普遍的な概念も実体ではないことを明らかにし、イデア論者が普遍的なものを実体として分離しようとした誤りを論じる。
- §7.17
原因および原理としての実体と形相
アリストテレスは実体についての新たな探求を始め、「なぜ」という問いは常にある素材(基体)に別の性質や形相が属する理由の探求であることを明らかにする。さらに、複合体における構成要素を超えた一体性を与える原因(形相)こそが、それぞれの第一の実体であると論じる。
- §8.1
感覚的実体の総括と基底材としての素材
第7巻の成果を振り返りつつ、合意された感覚的実体の検討を開始することを宣言し、その構成要素(素材、形相、合成物)と、様々な変化における素材の役割および実体変化の特殊性について説明する。
- §8.2
現実態としての実体と差異による定義
感覚的実体の現実活動(形相)について議論し、デモクリトスの原子論的相違点を示した上で、実体における多様な「存在」の意味や、物質に基礎を置く定義の構成要素を検討する。
- §8.3
複合的実体と形相および実体と数の類似性
本節では、言葉が「複合された実体」を意味するのか「形相(現実活動)」を意味するのかという曖昧さを論じ、定義が素材要素の単純な結合ではないことを示す。また、アンティステネス派の定義不能論に一定の理解を示しつつ、実体が数に類似する性質(一性や、要素の増減による本質変化)を持つことを明らかにする。
- §8.4-8.5
自然の実体における素材と原因および相反的状態
生成・変化する自然の実体における個別的・階層的な素材関係、ならびに四原因のすべて(素材・始動因・形相・目的)を挙げて探求することの重要性を説き、日食や睡眠などの自然現象における定義と原因のあり方を分析する。さらに、変化なき存在や、可能態としての素材が相反する二状態(健康と病気、ワインと酢など)にどう関わるかという難問を考察する。
- §8.6
定義の統一性と可能態と現実態の同一性
定義や数、特に素材(可能態)と形相(現実態)がどのようにして一となるかという難問を解決する。両者は同一のものの可能態と現実態であり、また素材を持たない実体は直ちに一であることを論じる。
- §9.1
運動の原理としての能力の定義と欠損
第一の存在である実体(ウーシア)に続く主題として、可能態(能力)と現実活動(現実態)についての探求を開始する。まず、本来的な意味である運動や変化の原理としての能力(能動と受動)を定義し、それらの関係や不能力・欠損について分析する。
- §9.2
理性を伴う能力と理性のない能力の区分
アリストテレスは能力を無魂のものの「理性のない能力」と有魂のものの「理性を伴う能力」に区分し、後者はロゴスが肯定的な状態とその欠損の両方を説明するため、相反する両方の結果をもたらすことができると論じる。
- §9.3
メガラ学派への批判と可能態と現実態の区別
メガラ学派の「活動している時のみ能力がある」という説を批判し、それが技術の喪失や感覚の不成立、運動と生成の否定という荒謬な結論を招くことを指摘して、可能態と現実態の区別を確立する。
- §9.4-9.5
可能と不可能の規定と理性的能力の現実化
能力(可能)と不可能、偽の関係を論じ、AとBの随伴関係における可能性の移行を説明する(9.4)。続いて、能力の分類(先天的・習慣的・学習的)と、非理性的能力と理性的能力(相反するものの能力)の違いを明らかにし、理性的能力を現実化させる決定要因としての欲求や選択を論じる(9.5)。
- §9.6
現実活動の規定と運動との区別
アリストテレスは「可能的に」存在する事物の具体例を挙げつつ、「現実活動(現実存在)」の概念を帰納と比論(アナロギア)によって説明し、さらに「運動」と「現実活動」の区別を時制の同時性の観点から論じる。
- §9.7
可能的に存在する条件と素材と生成物の関係
事物が可能的に存在すると言えるための条件を、生成の原理が外部にある場合(人工物や医療)と内部にある場合(自然物)に分けて規定し、素材と生成物の関係を「〜製のもの(形容詞)」という言語的表現と基体の不確定性を通じて論じている。
- §9.8#1
現実態が可能性に先立つ三つの観点
現実態(エネルゲイア)が可能性(デュナミス)に対して、定義(ロゴス)、時間(クロノス)、および実体(ウーシア)において先立っていることを証明し始める。
- §9.8#2
目的としての現実活動と永遠なものの現実態
アリストテレスは、現実活動がそれ自体またはその所産を目的として可能性を規定すること、また永劫不滅なものは可能性を持たず常に現実態として存在することを論じる。
- §9.9
現実活動の価値的優位と幾何学的発見
現実活動が可能性よりも優れていること、また現実の悪は悪の可能性よりもさらに悪いことを示す。さらに、幾何学図形の証明において、可能的な真理が補助線を引くなどの現実的な思考活動を通じて初めて顕在化することを例に挙げ、認識における現実活動の優位を論じる。
- §9.10
真偽としての有と非複合的対象の認識
存在と非存在の第三の意味としての「真と偽」を、複合的な対象と非複合的な対象の双方において探求し、それぞれの認識における真理と無知のあり方を論じる。
- §10.1#1
一の四つの意味と尺度としての本質
アリストテレスは「一」のそれ自体の意味を連続性、全体性、定義の同一性、個物および普遍の四つにまとめ、さらに「一と言われるもの」と「一であること(一の本質)」の区別を「元素」の例を用いて解説し、一の本質が本来は「最初の尺度」であることを論じる。
- §10.1#2
不可分な尺度としての量と人間尺度説の検討
アリストテレスは、「一」の本質が万物の「尺度」であること、そして特に量の尺度であり、すべての領域で不可分な同属の尺度が模倣されていることを解説した上で、プロタゴラスの「人間尺度説」を感覚と知識の尺度的性格の観点から位置づけている。
- §10.2
一の実体性と有との同等性
アリストテレスは「一」の本質を探求し、それがそれ自体で存在する実在ではなく、普遍的な述語、あるいは各類における固有の自然(色における白、楽曲におけるディーエシスなど)であることを論じる。さらに、一と有が等価であり、同じ仕方でカテゴリーに随伴することを説明する。
- §10.3
一と多の対立および同一と差異の多義性
一と多の対立について、同一・類似・等しい・異なる・不類似・不等などの下位概念が多義的に分析され、特に「異なるもの」と「相違するもの」の区別、および「反対のもの」の性質が論じられる。
- §10.4
最大かつ完全な相違としての反対対立と欠如
反対対立(相反)が「最大の相違」であり「完全な相違」であることを論じ、それが状態(所有)と欠如の対立関係に依拠することを示す。さらに、矛盾と異なり、欠如と状態(反対)の間には中間的なものがあり得ること、および反対のものの一方が常に欠如として語られることを説明する。
- §10.5
等しいものと大小の対立および中間
反対対立が一対一であるという原則に基づき、一と多、および等しいものと大きい・小さいものの対立を考察し、等しいものは大きい・小さいものの両方に対する「欠如的否定」として中間的に対立すると論じる。
- §10.6
一と多の対立と尺度と被測定物の関係
一と多の対立に関する難問について、多を「超過としての多量」と「数としての複数」に区別したうえで、数としての一と多は、測定基準と測定対象という相関関係によって対立するものであると論じる。
- §10.7
中間的なものの同類性と反対のものによる構成
中間的なものはその極限たる反対のものと同一の類に属し、それら反対のもの(およびその構成要素である第一の差異)から構成されていることを論証する。
- §10.8
種的な差異と同一の類における反対対立
種において異なるものは同一の類に属し、その差異は反対対立でなければならないことを論じ、類とその種の関係、および種の個別性における反対対立の役割を明らかにする。
- §10.9-10.10
性差が種を分けない理由と可滅不滅の差異
性別の差異が種を分けない理由を定義(形相)と質料の観点から考察し、さらに「可滅的であること」と「不滅的であること」は類における差異を構成するため、これらが種において同一であるようなイデアは存在し得ないと論じる。
- §11.1
知恵の探求対象と原理に関する難問
「知恵」が探求すべき原理や実体の範囲に関するアポリア(難問)を提示し、特に実証の諸原理、イデアや数学的対象、普遍的な「有」と「一」の原理としての資格について問いかける。
- §11.2
分離された実体と原理の同一性に関する難問
個々のもののほかに分離された実体や原理が存在するのかという問題をめぐり、永遠なるものと消滅するものの原理の同一性や、一や有、数や幾何学的対象(線や点)が原理でありうるかというアポリアを提示する。
- §11.3
有の多義性と一なる普遍の学としての哲学
「有」が多義的でありつつも共通のものへと帰着されることを「医療」や「健康」のアナロジー、および数学の抽象の手法を用いて論じ、哲学が一つの学として成立することを示して最初のアポリアを解消する。
- §11.4-11.5
第一哲学と個別諸学の区別と矛盾律の論駁的証明
第一哲学、数学、自然学の学問的関係性を説明し、普遍的な「有としての有」およびその共通の原理(矛盾律)を対象とする第一哲学の独自性と、対話の基盤となる矛盾律の論駁による証明について論じる。
- §11.6#1
プロタゴラスの人間尺度説と矛盾律の擁護
プロタゴラスの人間尺度説が矛盾律の否定に直結することを指摘し、その前提の起源となった自然哲学の生成論の誤りと、感覚や運動の性質に基づくその論駁を提示する。
- §11.6#2
質的恒常性と矛盾律および排中律の擁護
本チャンクにおいて、事物の質的な恒常性と変化について、またそれに基づく真理の追究と矛盾律の正当性について論じる。さらに、前提を認めない者との対話の不可能性、および中間的なものの否定と先行哲学者たちの見解への批判を述べる。
- §11.7
三つの理論的学問と第一哲学の普遍性
アリストテレスは諸学問の区分を行い、自然科学が観想的学問であることを示した上で、自然科学・数学・神学という三つの観想的学問の類を提示し、第一哲学(神学)が先なるものであるがゆえに普遍的であることを論じる。
- §11.8
付随的な有の非学問性と偶然的原因としての運
アリストテレスは付随的な有(偶然的存在)について論じ、それに対する学問や必然的な原因が存在しないことを証明する。さらに、選択に伴う付随的原因としての「運」を定義し、それが本質的な原因(知性や本性)よりも後から生じるものであることを明らかにする。
- §11.9
可能態の現実態としての運動の定義
アリストテレスは運動(変化)を「可能態にあるものが可能的なものである限りにおいて示す完全現実態」と定義し、他者の説を退けながら、運動がなぜ不完全な現実活動と呼ばれるのか、またそれが可動的なもののうちにどのように存在するのかを体系的に論じる。
- §11.10#1
無限の定義と感性的実体としての無限の不可能性
アリストテレスは無限の定義を整理した上で、無限が独立した実体として、あるいは現実態において存在しえないことを論じ、さらに感性的世界(物理的世界)においても無限な実体は存在しえないことを論理的・自然学的な観点から証明する。
- §11.10#2
無限な感性的物体の不可能性と場所および運動
本章の後半では、無限な感覚的物体の存在可能性が、構成元素の不可能性、場所(上・下など)の不整合、および大きさ・運動・時間における無限の先後関係などから否定される。
- §11.11
変化の三分類と運動および生成消滅の区別
変化と運動の分類について論じ、付随的な変化、部分的な変化、それ自体による変化を区別した上で、基底的なものから基底的なものへの変化のみが「運動」であり、生成や消滅は「変化」であっても「運動」ではないことを明らかにする。
- §11.12#1
三つの範疇における運動と変化の変化の否定
アリストテレスはカテゴリーの分類に基づき、運動は質、量、場所においてのみ成立し、実体や関係、変化自体の変化(運動の運動や生成の生成)は存在しないことを論じ、変化の変化を認めると無限後退などの不合理が生じることを示す。
- §11.12#2
運動の三種類と連続性に関わる基本概念の定義
運動の対象と定義、および運動の種類が「質・量・場所」に限られることを再確認し、「共にある」「接する」「中間」「次」「隣接」「連続」といった連続性に関わる基本概念を定義する。
- §12.1-12.2
実体の三分類と変化の基底としての質料
第一章では、存在の探求が「実体」に帰せられる理由が説かれ、実体の三つの分類(消滅する感覚的実体、永遠の感覚的実体、不動の実体)が示される。第二章では、変化の基底となる第三の原理としての「質料(可能態)」の必要性が、先行思想を乗り越える形で論証される。
- §12.3
質料と形相の不生成性とイデアの不要性
究極の質料と形相はそれ自体としては生成しないことを示し、生成における三つの原因の関係を分析するとともに、自然による生成の自足性からプラトン的なイデアを措定する必要はないと論じる。
- §12.4
類比によってすべてのものに共通する原理と原因
原因と原理(始原)は個別的には異なるが、比比(類比)によって普遍的に語るならば、形相・欠如・質料の三つの元素、およびこれらに動因を加えた四つの原因として、すべてのものに共通して存在することを論じる。
- §12.5
現実態と可能態による始原の類比と個別性
実体が独立して存在するゆえにその原因がすべての原因となること、また現実活動活動(現実態)と可能性(可能態)も類比において始原であり、質料の異なるものにおいては区別が異なることを説明する。さらに普遍的な始原は存在せず、個別の始原こそが個別の事物の始原であることを示し、実体や関係の始原がどのように同一であり異なるのかをまとめる。
- §12.6
永遠の運動と現実態としての不動の実体の必然性
三つの実体のうち不動の永遠なる実体の必要性を、運動と時間の永遠性に依拠して論証し、その第一の始原が潜在性(能力)ではなく現実性(現実活動)でなければならない理由を明らかにする。
- §12.7
愛慕の対象としての不動の動者と神の本質
自らは動かされることなく、欲求や思惟の対象(愛慕の対象)として天体を動かす不動の動者が存在することを論じ、その本質が最良の現実活動(観照、永遠の生命)としての神であることを示す。さらに、この神的な実体が感覚的事物から離れ、部分を持たず不可分であることを論証する。
- §12.8#1
不動の動者の数と天球説に基づく運動の検証
不動の動者が複数存在するかどうか、またその数がいくつであるかという問いを提起し、天文学におけるエウドクソスやカリポスの同心球説を導入して、天体の運動を説明するために必要な天球の数を検証し始める。
- §12.8#2
天球の総数と第一の動者の唯一性
天体の運動を説明するために必要な天球の総数を55(あるいは47)と計算し、不動の実体の数もこれと同数であるとする。また、第一の不動の動者および天は唯一であり、第一の実体を神とする古代の神話的伝承には真理の核心が含まれていると論じる。
- §12.9
神的な知性の本質と思考の思考
アリストテレスは神的な知性(ヌース)の本質について論じ、その思考対象が何であるべきかを検討する。知性が最善であるためには、自分自身を思考する「思考の思考」でなければならず、物質を持たないものにおいては思考するものと思考されるものが同一であることを明らかにする。
- §12.10#1
宇宙の秩序における善のあり方と他学説への批判
宇宙の自然が善を「離れた実体」として持つのか「秩序」として持つのかを軍隊や家政の比喩を用いて論じ、他者たちの原理論、特に対立物による生成説やエンペドクレスの愛悪説の難点を批判する。
- §12.10#2
先行諸学説の原理論の難点と唯一の支配者
アリストテレスはアナクサゴラスらの原理論の難点を指摘し、複数の原理を認めながらもそれらが統一されない他学説の不条理を批判して、万物は単一の支配者のもとに秩序づけられていると結論づける。
- §13.1
非感覚的実在の探究の端緒と数学的対象
感覚される実在の探究を終え、不動で永遠な非感覚的実在(数学的なものとイデア)の有無とそのあり方についての探究を開始し、まず数学的なものの存在様式から検討することを宣言する。
- §13.2#1
数学的対象の内在および分離存在の不条理
数学的な対象が感覚されるものの中に存在する、あるいは分離して存在する、という双方の仮定が導く不都合や不条理(幾何学的な要素の無限の累加や天文学における対象の矛盾)を指摘し、その存在のあり方を論駁する。
- §13.2#2
数学的対象の生成と実体における前後関係
分離した感覚対象や普遍的数学対象が存在することの不条理を指摘し、数学的対象が生成においては先立つが実体においては後なるものであること、および定義上先なるものが必ずしも実体として先なるわけではないことを論じる。
- §13.3
抽象による数学の成立と美の探究
アリストテレスは、数学的対象が感覚されるものから分離していなくても、特定の性質を抽象して(「〜である限りにおいて」)扱うことで、数学的証明や科学が正しく成立することを説明する。さらに、数学が美(秩序、調和、限定)を扱い、それらが一種の原因であることを指摘する。
- §13.4#1
イデア説の起源と普遍の分離への批判
数学的対象に関する議論を締めくくり、次にイデア(形相)説の批判的検討を開始する。ソクラテスによる普遍的定義の探求という歴史的背景を踏まえつつ、普遍的なものを分離して実在させたことによる矛盾を指摘する。
- §13.4#2
第三の人間とイデア論に内在する難点
アリストテレスはイデア論に内在する数々の矛盾を指摘し、関係のイデアや「第三の人間」の成立、さらには彼らが望む原理の破壊や、実体以外へのイデアの拡散、そして定義におけるイデア規定の付加に伴う空虚さを批判する。
- §13.5
イデアが感覚的事物に寄与しないことの批判
アリストテレスは形相(イデア)が感覚的・生成消滅的な事物の存在や認識に対して何も寄与せず、運動の原因にもなり得ないことを指摘し、範型や関与という概念を詩的比喩として退けるとともに、実体が事物から離れて存在することの不合理性を論じる。
- §13.6
離存する実体としての数と単位の比較可能性
アリストテレスは、数を分離した実体とする立場が取りうる論理的な選択肢(数の単位が互いに比較可能か、比較不可能か、あるいはその混在かなど)を網羅的に分類し、初期の哲学者たちの学説をその分類に位置づけている。
- §13.7#1
単位の比較可能性の検討とイデア数論への批判
単位が比較可能であるか比較不可能であるかという問いから出発し、すべての単位が比較可能であればイデア数説が崩壊し、すべての単位が完全に比較不可能であれば数学的数も形相の数も成り立たなくなることを、単位や数の生成と先後の論理的矛盾を通じて論じる。
- §13.7#2
比較不可能な単位による数の加算と生成の困難
アリストテレスは、単位が比較不可能であると仮定した場合、通常の加算による数の構成が不可能になり、プラトン派の数の生成理論と矛盾することを指摘する。また、数自体がその構成単位から離れて別個の実体として存在する理論的困難や矛盾を詳述する。
- §13.7#3
不可分な単位の差異化と数の構成における難点
アリストテレスは、単位が不可分であっても互いに異なるとする説の不条理を、数やイデアの構成から論じ、数える行為が付け加えによるものか部分によるものかという難点に言及する。
- §13.8#1
単位の差異の否定と各種の数論に対する批判
アリストテレスは、数と単位の差異について量および質の観点から不可能性を論じた上で、イデア数説、数学的数のみを認める立場、形相数と数学的数を同一とする第三の立場、そしてピュタゴラス派の数的宇宙観のいずれもが陥る困難を指摘する。
- §13.8#2
大と小による単位の生成と数の原因性の否定
アリストテレスは、「大と小」から単位が生成されるとする説の矛盾を指摘し、分離された数が無限であっても「十」までの有限であっても不条理が生じることを示す。これを通じて、数のイデアが存在物やその生成の原因とはなり得ないことを論じる。
- §13.8#3
十までの数論への批判と一の原理としての二義性
アリストテレスは「十」までの数に基づく数論の不条理を指摘し、「一」が数学的な点(部分・質料)と普遍的な形相という相反する二つの意味で原理とされている矛盾を批判する。
- §13.9#1
一と単位の関係および幾何学的大きさの生成の難問
アリストテレスは、一と単位の関係、および幾何学的大きさ(線、面、立体)が数に後続する類としてどのように構成されるかという難問を論じる。さらに、単位そのものがどのような原理(一と多)から構成されるかをめぐる矛盾を指摘する。
- §13.9#2
数や大きさの分離の不可能性とイデア論の起源
アリストテレスは数や大きさが分離して存在することの不可能性を示し、各学派が抱える不一致の原因が誤った前提にあると指摘する。続いて、感覚的実体とは別に分離した普遍的実体(イデア)を認める説の困難を、ソクラテスの定義の試みと比較しながら分析し始める。
- §13.10
原理が個別か普遍かという難問と知識の二重性
アリストテレスは、実体の原理や元素が個別的であるべきか普遍的であるべきかという、分離されたイデアを認める立場と認めない立場の双方に共通する難問を提示し、学問的知識(エピステーメー)が能力としては普遍的であり、活動としては個別的であるという二重性を導入して、その解決への糸口を示す。
- §14.1#1
反対物の原理性の否定と尺度としての一
アリストテレスは万物の原理を対立するもの(反対物)とする説を批判し、対立物は常に基底的なものに依存するため第一の原理にはなり得ないと論じる。また、「一」がそれ自体独立した実体ではなく「尺度」であることを明らかにし、数の生成に関するピタゴラス派やプラトン派の原理設定の誤りを指摘する。
- §14.1#2
大と小の不定の二者への批判と関係の偶性
アリストテレスは、「不等」を「大と小の不定の二者」とするプラトン派の説を批判し、大・小、多・少などの関係(相対的なもの)は実体ではなく量や質に付随する偶性にすぎないと論じる。また、関係には独自の生成・消滅がなく、数が少と多から構成されるとする説の論理的破綻を指摘する。
- §14.2#1
永遠なものの非合成性と非存在をめぐる混同の批判
アリストテレスは永遠なるものが元素から構成されえないことを論証し、またパルメニデスの存在一元論を克服しようとして非存在(存在しないもの)を安易に導入した先達の混同を批判し、存在と非存在の多義性に基づいた正しい生成のあり方を提示する。
- §14.2#2
諸範疇の多元性の原因と数論の困難
アリストテレスは、先行者が実体(何であるか)の多元性のみをアポリアとし、性質や量などの他範疇の多元性を問わなかった不条理を批判する。さらに、数の存在に関するイデア論者および数学的数支持者の前提の矛盾と困難を指摘する。
- §14.3#1
数や幾何学的極限の実体説に対する批判
アリストテレスは、イデア論者、ピュタゴラス派、および数学的数のみを認める人々の数論を批判的に比較検討する。さらに、点や線などの幾何学的極限を独立した実体とする説を否定し、数学的対象の先後関係における一方向的な依存性の欠如を難問として提起する。
- §14.3#2
数からの幾何学的大きさの生成に対する批判
アリストテレスは、イデア論者が直面する幾何学的対象の生成における矛盾を批判し、さらに形相数と数学的数の二重設定や、ピュタゴラス派による数の時間的生成論の不合理さを指摘する。
- §14.4
数の生成と原理と善の関係についての難点
アリストテレスは数の生成論の問題点を指摘し、原理・元素と「善・美」との関係性、および「一」を善そのものとみなすプラトン派の説から生じる不条理な帰結について議論する。
- §14.5
数が事物のいかなる原因にもなりえないこと
アリストテレスは、善を原理とすることの是非や数の生成に関する諸説を退け、数が事物において作用因、質料因、形相因、目的因などのいずれの意味でも原因とはなりえないことを論証する。
- §14.6
数の比率と善の非因果性および数学的対象の限界
数の比率が実在の善さ(有益性)の原因ではないことを、具体的な調合の比率の例を用いて論じ、ピタゴラス派などが主張する宇宙や言葉における数の偶然の符合を単なるこじつけとして批判する。最終的に、数学的なものは感覚的なものから独立しておらず、宇宙の第一原理でもないと結論づける。
