アリストテレス · Aristotle
エウデモス倫理学
Eudemian Ethics
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底本
Aristotle. Aristotelis Ethica Eudemia. Eudemi Rhodii Ethica. Susemihl, Franz, editor. Leipzig: Teubner, 1884.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA 4.0
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0086.tlg009.perseus-grc2
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翻訳と校閲
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最終更新:2026-10-12・変更履歴の一覧
要旨
本作は、人間にとっての究極の目的である「幸福(エウダイモニア)」の本質と、それを実現するための「徳(アレテー)」について探求した倫理学書です。冒頭では、幸福を構成する三つの生き方(哲学、政治、享受)が提示され、プラトンの超越的な「善のイデア」を批判しつつ、人間が実際に実践できる最善の目的としての善が探求されます。続いて、幸福を「完全な徳に従った完全な生の活動」と定義し、徳が過多と不足の中間である「中庸」の状態であることを明らかにします。また、行為における自発性や、理性的熟慮に基づく「選択(プロアイレシス)」の重要性が論じられ、勇敢さや節制といった具体的な品性の徳が個別に分析されます。後半では、共同体や正義とも深く関わる「友愛(フィリア)」の諸形態が詳細に検討され、自足的な人間にとっても他者と共に生きることが幸福に不可欠であると示されます。最終的に、すべての徳を統合する「善美(カロカガティア)」の境地が提示され、生における行為や選択の究極の基準は「神の観照」にあるとして結ばれます。
目次
53 チャンク
引用方式:book.section
- §1.1-1.2
幸福の構成要素と目標設定の重要性
幸福の定義や獲得方法に関する問いを提起し、幸福を構成する三つの要素(知恵、徳、快楽)を挙げるとともに、良く生きるための目標設定と必要条件の定義の重要性を説く。
- §1.3-1.4
大衆の意見の排除と三つの生き方の区別
アリストテレスは幸福の定義に際して、大衆や未成熟な人々の的外れな意見を排し、本格的な探究から生じる難問の検討こそが有益であると論じる。また、幸福を構成する活動に応じて、政治、哲学、享受という三つの主要な生き方を区別し、アナクサゴラスの逸話を用いて賢者と世俗の幸福観の乖離を示す。
- §1.5#1
生きる価値と選択に値する生の検討
何が生において選択に値するものであるかという問いについて、肉体的快楽や睡眠などの事例を挙げながら、真の幸福が何であるかを考察する。また、アナクサゴラスの観照への見解と、世俗の享楽的あるいは政治的生き方を対比させる。
- §1.5#2
徳と知恵の探究とソクラテスの知主義批判
アリストテレスは、幸福を構成する3つの生き方を整理した上で、快楽や徳、知恵の役割について問いを設定する。さらに、すべての徳を知識と同一視したソクラテスの知主義的な立場を批判し、実践的な徳においてはその定義を知ること以上に、実際に徳を身につけ実践することが重要であると主張する。
- §1.6-1.7
探究の方法と実践可能な最高善としての幸福
アリストテレスは探究の方法論を論じ、見かけの現象を証拠としつつ言論を通じて確信に至るべきであると述べる。また、幸福とは人間にとって実践可能な様々な善(目的と手段の両方を含む)のうちで、最も優れたものであると規定する。
- §1.8#1
善のイデア説の検討と善の多義性批判
「善そのもの」を「善のイデア」とするプラトン的見解を紹介した上で、善が存在の各範疇(範疇)に応じて多義的に語られることを指摘し、単一のイデアや包括的な善の学問という考えを批判する。
- §1.8#2
プラトン派の論証批判と実践的善としての目的
アリストテレスは、「一」や数の性質から「善そのもの」を導くプラトン派の論証手順の不備を批判し、合意された個別の善から出発する重要性を指摘する。そして、イデアや共通の善ではなく、人間が実践可能で最善の目的となる「それのゆえに(あるもの)」こそが探求されるべき善であり、政治学などの支配的学問の対象であることを示す。
- §2.1#1
魂の機能と完全な徳に従う活動としての幸福
善を外的なものと魂の中のものに区分し、魂の機能が生きることであること、および幸福が「完全な徳に従った完全な生の活動」であることを論じ、この定義が幸福に関する一般的通念と合致することを示す。
- §2.1#2
魂の区分と知性的徳および倫理的徳の分類
頌歌、称賛、幸福の宣告の概念的差異が示され、次に魂の理性的部分と非理性的部分の区分から、知性的徳と倫理的徳の二種が分類される。さらに、倫理的徳の定義と生成要因を特定するための方法論的・帰納的前提が議論される。
- §2.2
習慣による性格の形成と感情や能力や状態の区分
倫理的徳の語源から性格が習慣によって形成されるプロセスを説明し、性格が魂の非理性的部分における品質であることを示して、それを感情、能力、状態の三つの要素に区分する。
- §2.3
中庸としての徳の定義と感情と行為の目録
アリストテレスは、連続的かつ分割可能なものにおける過多・不足・中間の存在を示し、徳とは中間を狙う中庸の状態であることを説明する。様々な感情とその極端な状態の具体例を目録の形で提示し、姦通や暴行などのように程度問題ではなくそれ自体が悪とされる行為の存在を指摘する。
- §2.4-2.5
快と苦に関する徳と中庸および極端との対立
アリストテレスは魂を理性的部分と非理性的部分に分け、倫理的徳は快と苦に関わる魂の状態であり、中庸(中間)であることを論じる。また、各状態の極端と中庸の対立関係や、自然な傾向によって対立の度合いが異なることを説明する。
- §2.6
行為の原理としての人間と徳の自発性
人間が自らの行為の原理であり、その行為の発生に関して支配権(原因)を持つことを示し、徳と悪徳が自発的な事柄に属することを論じる。
- §2.7
自発性と欲求や欲望との関係をめぐる難点
自発性と非自発性の定義を検討するために、欲求(欲望・怒り・願い)と自発性との関係を分析する。自制心のない人の例などを通じて、欲望や怒り、あるいは願いに沿うことをそのまま自発性と同一視することの困難(アポリア)を示す。
- §2.8#1
思考を伴う自発性と強制の定義
自発的なことが欲求や選択に従うことではないことが示され、思考を伴う行為に求められる。さらに、生物と無生物の比較を通じて「強制」の概念が検討され、自制・自制心のない人の行為における内的な衝動と外的な始動源の区別に基づいて定義が整理される。
- §2.8#2
自制と無自制の自発性と苦痛下の強制
自制のある人と自制心のない人が快苦を伴いつつも、魂の全体としては本性に従い自発的に行為していることを示し、さらに生命の脅威や耐えがたい苦痛による「やむをえない行為」が、いかなる意味で自分次第であるか、あるいは強制や非自発的なものとなるかを分析する。
- §2.9
思考による自発性の定義と知識の有無
強制(力)をめぐる議論を締めくくり、自発性が欲求や選択だけで規定されないことを確認した上で、思考(知識と無知)の観点から自発性を定義し、知識の所有と使用の区別について論じる。
- §2.10#1
選択の定義と欲求や思いとの相違
アリストテレスは「選択」(プロアイレシス)の定義に向けた探究を開始し、それが欲求(欲望、怒り、願い)や思い(信念)のいずれとも同一でないことを示す。
- §2.10#2
熟慮を伴う欲求としての選択の規定
選択(プロアイレシス)が願いや思いとは異なり、自分次第である事柄についての「熟慮を伴う欲求」であることを論じ、それが自発的な行為とどのように関係しているかを明らかにする。
- §2.10#3
目的と手段に関する熟慮と中庸を選択する徳
アリストテレスは、熟慮が常に目的を前提としてその手段に関して行われること、そして目的は本来は善であるが、自然に反する歪みの中では見かけの善になりうることを論じる。さらに、徳と悪徳が快楽と苦痛に関わる中間(中庸)の状態(ヘクシス)の選択であることを定義する。
- §2.11
徳による目的の正しさと品性の基準としての選択
徳が選択の目標(目的)を正しくするのか、あるいは理性を正しくするのかという問題を論じ、徳は目的を正しく設定するものであり、活動そのものよりも選択こそが人の品性を評価する基準となることを明らかにする。さらに、徳と悪徳が自発的なものであることを結論づける。
- §3.1#1
恐怖と大胆さに関する中庸としての勇敢さ
徳と悪徳に関する一般的な前提の議論を終え、個別的な徳の検討として、恐怖と大胆さに関する中庸である勇敢さ(勇気)の定義と、その対象となる恐ろしいものの二重性について議論する。
- §3.1#2
真の勇敢さと五つの類似の勇敢さの分類
アリストテレスは勇敢な人が理言に従って恐怖に対処する中庸の状態にあることを説明し、羞恥、経験、無知、希望、激情に基づく5つの類似的な勇敢さを分類する。また、真の勇敢さは特に死の苦痛という、生命を脅かす「恐ろしいもの」に対する正しい態度に関わるものであることを明らかにする。
- §3.1#3
見せかけの勇敢さと美のための真の勇敢さ
勇敢な人が耐えるべき「恐ろしいもの」の性質や尺度を規定した上で、無知、怒り、快楽、苦痛の回避、経験、羞恥心などに基づく様々な見せかけの勇敢さと「真の勇敢さ」の違いを明らかにし、真の勇敢さは美(ト・カロン)という目的のための選択に基づく徳であることを論じる。
- §3.2#1
節制と放縦の定義と触覚・味覚の快楽
勇敢さに関する議論を締めくくり、新たな徳である節制と放縦についての探究を開始する。放縦(未矯正)という語の多義性を整理した上で、節制および放縦が関わる対象を身体的感覚のうち味覚と触覚(特に触覚)に限定する。
- §3.2#2
触覚的快楽の超過としての放縦と中庸の節制
アリストテレスは、動物の快楽が視覚や聴覚、嗅覚ではなく、本質的には触覚(および喉による味覚)に限定されていることを示し、放縦がこれら触覚的な快楽の超過に関わるものであることを明らかにする。そして、節制がその超過(放縦)と不足(無感覚)との中庸であることを規定する。
- §3.3-3.4
怒りに関する温厚さと財産に関する気前のよさ
温厚さと気難しさ、奴隷的な態度について論じ、温厚さがそれらの中庸であることを示す。また、自由人の気風についても財産の獲得と出費を巡る中庸として定義し、その両極である放蕩と不自由の様々な種類を分類する。
- §3.5#1
器の大きさの規定と真の名誉の追求
器の大きさ(大志)の固有の特徴について、その性質と他の徳との関係から定義する。器の大きい人は大衆の評判を軽視しつつも真に価値ある大きな名誉のみを追求し、すべての徳を偉大な形で備えていることが示される。
- §3.5#2
大度における自己評価と価値の四類型
他の徳から区別される固有の徳としての「器の大きさ(大度)」について、実際の価値と自己評価の組み合わせから生じる四つのタイプ(大度、虚栄、卑屈、および分をわきまえた平庸)を定義し、大度が虚栄と卑屈の中庸であることを論じる。
- §3.6
豪奢の徳と支出におけるふさわしさの中道
大盤振る舞い(豪奢)という徳について論じ、それが富を適切に支出することにおける中道であり、ケチや見栄っ張りと対比されることを明らかにし、ふさわしさの基準を説明する。
- §3.7
感情に関わる中道と両極および自然な徳
品性に関する様々な感情的状態(嫉妬、恥、友愛、荘重、真実、機知など)の中道・超過・不足を分析し、これらは選択を欠くため厳密な意味での徳ではないが自然な徳を構成することを論じ、最後に中道と両極の対立関係の性質を明らかにしている。
- §7.1
友愛の重要性と原因をめぐる諸見解の検討
友愛の定義や性質、その倫理的・政治的な重要性を確認した上で、類は友を呼ぶとする説と相反するものが惹かれ合うとする説など、自然哲学を巻き込んだ先人たちの対立する諸見解を整理する。
- §7.2#1
愛される対象の多義性と友愛の三つの種
著者は相反する見解を調停する方法論を提示した上で、愛される対象(善・快・有用)の多義性を整理し、友愛が「焦点的一義性」を持つ三つの種(徳、有用さ、快さによる友愛)に分かれることを論じる。
- §7.2#2
友愛の三種の比較と第一の友愛の成立
友愛の三つの種(有用さ、快楽、徳によるもの)の特徴を述べ、第一の友愛が他のものとどう異なるかを整理し、絶対的な善と個々の人にとっての善が徳によって一致するプロセスを論じる。
- §7.2#3
第一の友愛の安定性と快および信頼の成立
第一の友愛が自己目的的で確固たるものである理由を、活動のあり方、快楽との本性的一致、そして時間をかけた信頼関係の検証という観点から論じる。
- §7.2#4
第一の友愛の少数性と不完全な友愛の成立
本節でアリストテレスは、真の友愛(徳に基づく第一の友愛)が多くの人の間には成立しない理由を、時間と試験(試み)の必要性、および個人的な適合性から論じる。また、有用さや快楽に基づく不完全な友愛が、劣悪な人々の間や優れた人と劣悪な人の間でもどのように成立し得るかを分析する。
- §7.3-7.4
不平等な友愛と愛することの本質
平等に基づく友愛のほかに、支配関係などの不平等に基づく友愛について述べ、優越関係における愛し方と愛され方の違いを論じる。さらに、友愛の本質が「愛されること」よりも「愛すること」にあることを、母親の行動や死者への愛を例に挙げて論証する。
- §7.5
似たものの友愛と反対のものの友愛の還元
これまでに議論された友愛の種類を整理した上で、外部の思想家が用いる「似たものの友愛」と「反対のものの友愛」を分析する。「似たものの友愛」は善や快に還元され、「反対のものの友愛」は中間(中庸)という善を求める有用さに還元されることを明らかにする。
- §7.6#1
自分自身に対する友愛の成立と友愛の諸定義
自分自身に対する友愛(自己愛)が可能であるかという問いを導入し、魂の複数性(理性的な部分と非理性的な部分の関係)を通じてこれが類比的に成立することを説明する。さらに、他者への友愛をめぐる様々な定義(善を願うこと、存在を願うこと、共に生きること、苦楽を共にすること)が、自己愛に由来することを示す。
- §7.6#2
善き人の魂の調和と自己に対する友愛
本節では、自分自身に対する友愛の本質が論じられ、魂が調和した善い人においてのみ自己との真の友愛が成立し、悪人においては魂の不調和によって自己対立が生じることが説明される。
- §7.7
好意と一致の本質および友愛との関係
本章では好意(eunoia)と一致(homonoia)という友愛に関連する二つの概念が検討され、好意は徳に基づく道徳的友愛の始まりであり、一致は共同生活における支配と被支配をめぐる政治的友愛であることが論じられる。
- §7.8-7.9
施恩者の友愛と共同体および国制における友愛
恩を施す者が施される者よりも相手を愛する理由について、作品と現実活動の関係から説明する。続いて、正義、友愛、共同体の緊密な関係を論じ、国家の様々な共同体や国制が家庭における人間関係に対応していることを示す。
- §7.10#1
友愛の三形態と家庭内の関係における比例的正義
親族、仲間、政治の三つの友愛の形態と、家庭内における支配・共同関係が分析される。さらに、優越に基づく友愛における不均衡を「名誉」によって調整し、正義の比率を維持する方法が提示される。
- §7.10#2
政治的友愛の区分と有用性に基づく不満
政治的友愛が平等と有用性に基づく関係であることを解説し、それを契約的な「法的友愛」と信頼に基づく「道徳的友愛」に分類する。また、道徳的友愛において生じる不平不満や、受けた便益の価値判断をめぐる対立について論じる。
- §7.10#3
道徳的友愛と政治的友愛の相違および紛争解決の基準
アリストテレスは、政治的(法的)友愛と道徳的友愛の相違点を説明し、特に互いの思惑や求める価値が同種ではない非対称的な人間関係において非難が生じた場合の、比例関係を用いた解決基準を提示する。
- §7.11
徳の友と有用な友に対する奉仕と報復の基準
善い友(徳の友)と有用な友、あるいは優れた人にそれぞれどのような奉仕や報いをすべきかを論じ、友情の定義が相手の性質(有用、快楽、善)によって多様であることを示す。
- §7.12#1
自足性と友人の必要性に関する難問の検討
自足的な人間に友人が必要であるかというアポリアを提示し、生の活動(知覚・認識)の観点から友人が「もう一人の自分」として共同生活を送る意義を考察し始める。
- §7.12#2
もう一人の自分としての友と共同生活の意義
友人が「もう一人の自分」であることから、共に生き、知覚することの喜びを論じる。また、神との比較を通じて人間の幸福における共同生活の必要性と、友人の数および不幸の共有に関するジレンマを分析する。
- §8.1
能力の誤用可能性と思慮および徳の優位性
アリストテレス(あるいは著者)は、あらゆる道具や能力が本質的役割とは異なる仕方で使用されうることを論じ、徳や思慮が知識と同じように誤った使用をされうるかという困難を検討する。最終的に、思慮が魂の他の状態(徳)と分かち難く結びついており、無知が徳を支配するのではなく、徳が無知や悪徳に対して優位に立つことを示す。
- §8.2#1
幸運の原因と生まれつきの資質を巡る検討
愚かでありながら成功する「幸運な人々」の原因について、それが思慮や技術、あるいは神の守護によるのではなく、生まれつきの資質(自然)に由来するのではないかという仮説を提示し、検討を進める。
- §8.2#2
二種類の幸運と魂における神的な始原
幸運が衝動に基づくものとそうでないものの二種類に大別されること、および魂における運動の始原が理性を超えた神的なものであることを論じている。
- §8.3#1
カロカガティアの定義とスパルタ的な徳との区別
カロカガティア(善美)の定義について、個別の徳をすべて備え、美しいものをそれ自体のために選択・実践するあり方であるとし、外的利益を得る手段として徳を求めるスパルタ的な国制的状態と対比して論じる。
- §8.3#2
完全な徳としてのカロカガティアと神の観照の基準
美しく善い人(カロカガトス)における善と美の完全な調和を総括し、徳ある行為や財産選択の基準が「神の観照」を最大化することにあるという倫理的・神学的な最終基準を示す。
