底本
Plutarch. Plutarch's Lives, Vol. II. Perrin, Bernadotte, editor. Cambridge, MA: Harvard University Press; London: William Heinemann Ltd., 1914.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA 4.0
元ファイル: urn:cts:greekLit:tlg0007.tlg035.perseus-grc2
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翻訳と校閲
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要旨
本書は、古代ギリシアのアテナイの将軍であり政治家であったキモンの生涯を描いた伝記作品である。著者はルクッルスとの比較を通じてキモンの美徳や軍実績才覚、内政での穏健さを称賛する。前半では、キモンの高貴な血統や若き日の奔放な逸話、ペルシア戦争での活躍による台頭が描かれ、さらに彼が同盟国の信頼を勝ち取りギリシアの覇権をアテナイにもたらす過程が示される。また、キモンが私財を投じて市民を支援し、公共の景観を整えた寛大で清廉な人柄も詳しく語られる。中盤では、エウリュメドン川の戦いにおける対ペルシア大勝利という軍事的な絶頂期が描かれる。しかし後半、アテナイ内部での過激な民主政の台頭と自身の親スパルタ的な姿勢が重なり、彼は陶片追放を経験する。最後は、追放から復帰した彼がキプロス遠征中に不吉な兆候の中で病没し、彼の死後にギリシアが内紛によってペルシアへの優位を失う様子を描いて幕を閉じる。
目次
19 チャンク
引用方式:chapter.section
- §1.1-1.7
ダモンの反乱とカイロネイアでの暗殺
カイロネイアの若者ダモンが、言い寄るローマの指揮官を殺害して逃亡し、さらに都市の役人たちを殺した事件の顚末と、その後の彼の死について描かれる。
- §2.1-2.5
ルクッルスによる救援と伝記の執筆方針
オルコメノスによるカイロネイア告発の危機をルクッルスが救い、これに感謝したプルタルコスは、画家の比喩を用い、人間の美徳を重んじつつ欠点を慎重に扱う伝記の執筆方針を説明する。
- §3.1-3.3
キモンとルクッルスの比較とその共通点
著者はルクッルスとキモンの比較の妥当性を主張し、両者の軍事的才覚、内政での穏健さ、未完の将軍職、そして日常生活における気前の良さといった共通点を挙げる。
- §4.1-4.9
キモンの家系と青年期の悪評や素行
キモンの母方の高貴な血統と歴史家トゥキュディデスとの親族関係を説明し、若い頃の悪評や姉妹エルピニケとの不品行な噂、さらには彼の素朴な性格や女性関係について記述する。
- §5.1-5.4
キモンの高潔な資質と政界での頭角
キモンの正義感と政治・軍事的能力の高さが、ミルティアデスやテミストクレスと比較されつつ称賛される。ペルシア戦争時のアクロポリスでの行動で民衆の支持を集め、アリステイデスらの後押しも得て頭角を現したことが語られる。
- §6.1-6.6
パウサニアスの失脚とキモンによる覇権獲得
キモンは将軍として、粗暴なパウサニアスとは対照的な温和な態度で同盟者の信頼を勝ち取り、武力を用いずにギリシアの覇権を獲得する。一方、パウサニアスは誤ってビュザンティオンの乙女クレオニケを殺害し、彼女の亡霊に付きまとわれ、のちにスパルタでの死を暗示される。
- §7.1-7.5
エイオン攻略とヘルメス像の栄誉
キモンは将軍としてトラキアのエイオンを包囲してペルシア人を破り、その地をアテナイの入植地とした。この功績により、彼には栄誉として銘文の刻まれた3基の石造ヘルメス像の奉納が許可された。
- §8.1-8.8
テセウス遺骨の奉還と悲劇競演の審査
石造りのヘルメス像に名前が刻まれなかったキモンが他の将軍以上の栄誉を得た理由、彼によるスキュロス島の攻略とテセウスの遺骨のアテナイへの返還、そしてソポクレスとアイスキュロスの悲劇競演の審査員をキモンらが務めた逸話が語られる。
- §9.1-9.4
イオンの回想と捕虜分配の計略
ヒオス島のイオンによるキモンの若き日の宴席の回想と、キモンがセストスとビュザンティオンの戦いにおいて、捕虜とその装飾品を巧みに分配してアテナイに多大な富をもたらした計略が語られる。
- §10.1-10.9
キモンの寛大さと市民への施し
キモンは戦役で得た富を、私有地の開放や市民・外国人への食事の提供などを通じて寛大に施した。彼の気前の良さは非難を受けることもあったが、アリスティデスと共に民主政の過度な拡張に反対するなど貴族主義的な高潔さを保ち、賄賂を受け取らない清廉さを貫いた。
- §11.1-11.3
同盟国の兵役免除とアテナイの覇権確立
兵役を忌避する同盟国に対し、他の将軍たちが強制力を働かせたのとは対照的に、キモンは代償金や無人船の提供を受け入れることで彼らに余暇を与えた。結果として、怠惰になった同盟国は実質的に隷属し、訓練を積んだアテナイ人が支配権を握る過程を描く。
- §12.1-12.6
ファセリス攻略とエウリュメドンの海戦
キモンはペルシアの勢力をギリシア周辺から一掃し、ファセリスを懐柔して遠征に加えた後、エウリュメドン川の戦いでペルシア艦隊を撃破して二百隻を捕獲した。
- §13.1-13.8
エウリュメドン陸戦の勝利と戦利品によるアテナイの美化
キモンはエウリュメドン川の戦いにおいて海戦の勝利に続き陸上でもペルシア軍を破り、さらにフェニキアの増援艦隊も壊滅させた。この大勝によってペルシア王との間に有利な和約が結ばれ、アテナイは得られた富で公共建築や景観の整備を進めた。
- §14.1-14.4
ヘルソネソスとタソスの征服と賄賂疑惑による裁判
キモンはヘルソネソスからペルシア人を駆逐し、さらにタソス島を服属させて領土を拡大するが、マケドニア侵攻を見送ったことで賄賂を受け取ったとの疑いをかけられ裁判にかけられる。
- §15.1-15.3
アレオパゴス評議会の権限縮小とキモンの旧制復興の試み
裁判で無罪となったキモンは国内で民衆の過激化を抑制するが、彼の遠征中にエフィアルテスらによってアレオパゴス評議会の権限が剥奪され、アテナイは過激な民主政へと移行する。帰還したキモンは国制の復旧を試みるが、政敵から親スパルタの性向や私生活を非難される。
- §16.1-16.8
キモンの親スパルタ路線とヘイロタイ蜂起への救援軍派遣
キモンは一貫して親スパルタの姿勢を貫き市民の反感を買うが、スパルタで大地震とヘイロタイの蜂起が起きた際、エフィアルテスの反対を押し切って救援部隊を率い出発した。
- §17.1-17.6
キモンの陶片追放とタナグラ敗戦後の召還
キモンは帰還の途中でコリントス人と対立し、後にアテネで陶片追放に処されるが、タナグラの戦いでの敗北とスパルタの脅威に直面したアテネ人はペリクレスの提案により彼を呼び戻す。
- §18.1-18.7
キモンのキプロス遠征と死を告げる神託
キモンは帰還後すぐに和平を結び、アテネの勢力を外に向けるためエジプトやキプロスへの遠征を計画するが、不吉な夢と犠牲の兆候が現れる。彼は遠征を強行して戦果を上げるが、アモン神殿に神託を求めて派遣された使者たちは、キモンがすでに神々の元にいるという謎めいた託宣を受け取り、彼の死を知る。
- §19.1-19.4
キモンの死と秘匿された撤退および死後の影響
キモンの死(病死説と戦傷死説)とその死が秘匿された中でのギリシア軍の安全な撤退、そして彼の死後にギリシア人が内紛に陥りペルシアへの優位を失ったこと、アッティカとキティオンにおける彼の墓と崇拝について描いている。
