底本
Tertullian. Quinti Septimii Florentis Tertulliani Quae Supersunt Omnia, Volume 1. Oehler, Franz, editor. Leipzig: Weigel, 1853.
原文データ出典
Perseus Digital Library · CC BY-SA 4.0
元ファイル: urn:cts:latinLit:stoa0275.stoa003.opp-lat1
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
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要旨
本書は、初期キリスト教の護教家テルトゥリアヌスが、信徒への激しい迫害を行っていたカルタゴのローマ総督スカプラ(Scapula)に向けて執筆した弁証および警告の書です。著者はまず、キリスト教徒が死や迫害を恐れず、むしろ「敵を愛せよ」という教えに従う平和的な人々であることを強調します。彼らは唯一の神を礼拝しつつも、皇帝を敬重して国家の安全を祈る忠実な臣民であり、反逆や神殿荒らしの疑いは全くの冤罪であると弁明します。続いて、各地で発生した天災や、過去の迫害者たちが遂げた悲惨な末路を具体的に挙げ、これらはすべて神の怒りと警告の現れであるとして総督に悔い改めを促します。最後に、過去の総督たちの寛大な先例や皇帝セウェルスの寛容な姿勢を示し、さらに過酷な迫害がもたらす信徒たちの圧倒的な殉教への決意を突きつけることで、これ以上の迫害を止めるよう強く警告して本書を結んでいます。
目次
3 チャンク
引用方式:chapter
- §1-2
迫害に対する態度と皇帝への忠誠
著者は、キリスト教徒が迫害を恐れず、教えに従って敵をも愛する者であることを主張する。また、キリスト教徒は唯一の神を礼拝し、皇帝を神に次ぐ存在として敬重してその安全を祈る忠実な臣民であり、反乱や神殿荒らしの容疑は冤罪であると論じる。
- §3
迫害者への天罰と神の怒りの前兆
著者はキリスト教徒の迫害に伴って各地で発生した天災や異常現象、そして迫害者たちに下った悲惨な末路を具体的に挙げ、これらがすべて神の怒りと警告の現れであることを指摘して相手に悔い改めを促す。
- §4-5
過去の総督の寛容な前例と迫害停止の警告
テルトゥリアヌスは総督に対し、過去の寛大な総督たちの前例や皇帝セウェルスのキリスト教徒への好意、さらにアジアー属州での集団出頭の例を引き、キリスト教徒に対する迫害を和らげるよう警告する。
