アウグスティヌス · Augustine
フォルトゥナトゥス駁論
Against Fortunatus
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底本
Augustine. Sancti Aureli Augustini Opera, Sectio VI, Pars I (Corpus scriptorum ecclesiasticorum Latinorum, Volume 25, Pars I). Zycha, Joseph editor. Prague; Vienna; Leipzig: F. Tempsky; G. Freytag, 1891.
原文データ出典
Open Greek and Latin · CC BY-SA 4.0
元ファイル: urn:cts:latinLit:stoa0040.stoa024b.opp-lat1
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翻訳と校閲
翻訳:Gemini 3.5 Flash(2026-05-22 公開)
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最終更新:2026-10-10・変更履歴の一覧
要旨
本作は、キリスト教の思想家アウグスティヌスとマニ教の司祭フォルトゥナートゥスとの間で行われた、神の本質と悪の起源をめぐる公開討論の記録である。討論は、神の本質や魂の運命、そして世界に存在する悪の所在をめぐって展開される。アウグスティヌスは、神が不滅かつ不可侵であるならば、マニ教のいう光と闇の闘争は無意味であり、魂が苦難を受ける理由もないと主張する。また悪の起源を、神ではなく人間の「自由意志(liberum arbitrium)」の濫用とその罰としての習慣の必然性に求める。これに対してフォルトゥナートゥスは、悪を外部の敵対的な実体による強制として捉え、聖書を引用しながら二元論的な教義を擁護しようとする。しかし、害されることのない神がなぜ魂をこの世の苦難に送り出したのかというアウグスティヌスの決定的な問いに対し、フォルトゥナートゥスは最後まで整合性のある解答を示すことができない。最終的にフォルトゥナートゥスは答弁に窮し、仲間とともに再考することを約束して討論は終結する。
目次
13 チャンク
引用方式:chapter
- §1-3
討論の開始と神の本質および道徳的行状の論点
アウグスティヌスとマニ教徒フォルトゥナートゥスの討論の開始。アウグスティヌスはマニ教の神の本質に関する教理の矛盾を突き、信仰の正統性を問題にするが、フォルトゥナートゥスはマニ教徒の生活態度(モラル)に対する誹謗中傷への弁明を優先しようとする。
- §4-8
魂が死に陥った原因とキリストの受難の類似性
アウグスティヌスは、魂が死に陥った原因や、不滅の神が魂をこの世界に送るに至った必要性について追及する。フォルトゥナートゥスはパウロのフィリピ書を引用しつつ、キリストの受難と死、そしてそこからの解放のあり方が人間の魂の運命と類似していることを論じる。
- §9-13
神の不可侵性と被造物としての魂の本質
アウグスティヌスは、神が不滅かつ不可侵であるなら、マニ教の言う光と闇の戦争は無意味であり、魂が苦難を受ける理由がないと論じる。さらに魂は神の実体そのものではなく、全能の神によって無から造られた優れた被造物であると説明し、フォルトゥナトゥスに問いへの返答を迫る。
- §14-16
相反する実体説と自由意志による罪の論争
フォルトゥナトゥスは世界における相反する実体の存在を主張し、アウグスティヌスは悪の起源を人間の自由意思による罪とその罰に帰する。フォルトゥナトゥスはこれに対し、聖書の記述を引用して神以外の悪の存在を裏付けようとする。
- §17
使徒書簡に基づく自由意思と罪の自発性の弁証
アウグスティヌスは、フォルトゥナトゥスが引用した使徒の朗読箇所を用いて自由意思と罪の自発性を論証し、悪の必然性を教義とするマニ教の欺瞞を突く。これに対してフォルトゥナトゥスは、肉体的な性質と、神由来の神聖な魂の実体とを区別して答弁を試みる。
- §18-19
キリストの受肉と二元論的信仰をめぐる対立
アウグスティヌスがパウロのローマ書を引きつつ、キリストが肉においてダビデの子孫から生まれたという教えを提示するのに対し、フォルトゥナトゥスは肉的誕生を否定し、さらに神の言葉が闇に縛られていると主張して聴衆の非難を浴びる。翌日、フォルトゥナトゥスは悪が神に由来しないという二元論を再表明する。
- §20
悪の起源としての自由意志と外部強制をめぐる議論
アウグスティヌスは、悪は神ではなく魂の自由意志の濫用によるものであり、自由意志なしには神の審判や道徳的責任も成立しないと主張する。これに対してフォルトゥナトゥスは、自由意志を認めると神が悪の創始者となってしまうと反論し、悪への強制は外部の敵対的実体によるものであると主張する。
- §21#1
罪と報酬の前提となる自由意志とマニ教の矛盾
アウグスティヌスは、罪や報酬の前提として自由意志が必要であることを説き、使徒の言葉を引いて悪の起源を「貪欲」に求める。さらに、マニ教の教理に従えば、魂が神の都合(必然)で派遣された犠牲者であるにもかかわらず悔い改めと赦しを求められるという、深刻な自己矛盾に陥ると主張する。
- §21#2
悪の外的強制と魂の罪をめぐる反論
フォルトゥナトゥスは、悪が人間の肉体を越えて全世界に存在することを指摘し、魂は自発的ではなく悪しき本性に強制されて罪を犯すのだと主張して、使徒パウロの言葉を引用しつつ反論する。
- §22#1
アダムの自由意志と二本の樹の比喩の解釈
アウグスティヌスは、最初の人間アダムに自由意志があったこと、そして人間がその自由意志によって罪を犯して以来、習慣の力によって悪が必然となったことを主張し、聖書に登場する「二本の樹」の正体は固定された自然の本性ではなく、可変的な人間の意志を象徴しているのだと論じる。
- §22#2
罪の習慣の必然性と魂が地上に送られた理由
アウグスティヌスは、人間の意志の自由と罪による習慣の必然性について使徒パウロを引用して説明し、神が人間を敵対する本性の中に送ったとするマニ教の教義に疑問を投げかける。これに対し、フォルトゥナトゥスは、魂がこの世の敵対的な領域に送られたのは本来の自己の本質へと立ち返るためであると、主や使徒の言葉を引用して反論する。
- §23-28
悪魔からの解放の闘いと神による魂の派遣
アウグスティヌスは悪魔たちの支配からの解放を闘いとして描き、神が害され得ない存在であるならばなぜ魂を地上に送ったのかをフォルトゥナトゥスに問い詰める。フォルトゥナトゥスは、魂の派遣が必要性によるものではないとしつつも、神の意志や人間の被造性についてアウグスティヌスの議論に反論しようとする。
- §29-37
不可侵害な神による魂の派遣と討論の終結
アウグスティヌスは、害され得ない神がなぜ魂をこの世の苦難に送り出したのかという問いをフォルトゥナトゥスに突きつけ、聖書の解釈を交えながら追い詰める。フォルトゥナトゥスは答えることができず、最終的に長老たちと再考した上で真理の探求に進むことを約束し、討論は終結に向かう。
